添乗員として行った海外

アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オーストリア、イタリア、スペイン、スウェーデン、ノルーウェイ、フィンランド、ギリシャ、オランダ、中国、台湾、韓国、香港、インドネシア、オーストラリア、メキシコなどなどへ添乗してきました。そこで私がまた行きたいなと思うところをご紹介できればと考えています。

北欧ツアーこれからが本番

私が北欧へ添乗員として行ったのが6月でした。ベストシーズン少し手前って感じでした。私達が乗った飛行機にもうひとつの団体が乗っていたのを覚えています。北欧の旅行シーズンはずばり7月、8月なのです。北欧の人は短い夏を満喫しています。どう言う意味かって、現地へ行ったらわかります。ハイ。
 

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 いよいよ写真展が始まる
 
 
ウルルンと要潤とSECCO 
 

デンマーク
 
 
タグ:北欧
posted by 添乗員 at 19:10 | 北欧

ベルゲン、ノルウェー

ベルゲン (Bergen) とは、ノルウェー王国ホルダラン (Hordaland) 県の中心都市。ノルウェー第2の都市(周辺町村との大合併がなされた)。人口242,854人(2006年4月1日)、面積465.3 km²。北緯60度24分、東経5度20分に位置する。
ノルウェー南西沿岸地方にあり、市街地は静かなフィヨルドに面して広がる。ノルウェー海にはフィヨルドと島で形成される複雑な水路でつながっており、西ノルウェー随一の天然の良港として発展してきた、港湾都市、商工都市。古代はノルウェー・ヴァイキングの拠点が置かれたが、本格的な都市の建設は1070年にノルウェー王オーラヴ・チッレ Olav Kyrreによって自治都市の設置が認められてからのことである。ベルゲン半島の東側から港が形成され,王が時々滞在する街として飛躍的に発展を遂げた。
1240年にはトロンハイム(ニーダロス)に替わってノルウェー王国史上2番目の首都となり,1299年にオスロへ遷都されるまでホーコン・ホーコンソン Håkon Håkonsson王の王宮が置かれた。1236年には、ドイツのハンザ商人によって商館が建てられ、13世紀末には、ハンザ同盟 (Hanseatic League) の四大重要都市として君臨。各地から商人、職工が集まり、現在のブリッゲン (Bryggen) 地区の旧市街(世界遺産)を形成した。ベルゲンの重要性は,ハンザ商人が独占した、ノルウェー海の海産物(特に北部ノルウェーの干しダラ)の交易によるものだった。1830年代まではノルウェー最大の都市であり,現在も西ノルウェーの経済、文化の中心である。
ベルゲンはノルウェー人にも外国人にも人気のある観光都市で,ヨーロッパ最大の客船寄港地の一つである。ベルゲンはフィヨルド探索の拠点として知られ,沿岸急行航路の出発点であり,ベルゲン鉄道の終着駅である。デンマークのハンストホルム (Hanstholm),ヒルツハルス (Hirtshals),イギリスのニューカッスル,アイスランド,フェロー諸島へのフェリーも出る。ベルゲン空港フレスラン (Flesland)は,ベルゲンの国際空港である。 ベルゲンには1946年に大学が創設された。ベルゲン大学は,今日では約17000人の学生と,3000人の職員を擁する。また市内には複数の研究所,例えば海洋研究所,NIFES,そしてクリスティアン・ミケルセン研究所 (CMI)がある。また,国の漁業管理庁がある。ベルゲンは1972年にホルダラン県に編入されるまでは,特別市だった。 2000年にはヨーロッパの文化首都にも選ばれた。市内には作曲家グリーグ (Grieg) の家とグリーグホール (Grieghallen) などがあり、世界各地から音楽を学びに留学する学生も多い。

ベルゲンは7人の娘と称されるサンドヴィーク山 (Sandviksfjellet),ルンネマーネン (Rundemanen),フロイエン (Fløyen),ウルリーケン (Ulriken),レーヴスタッケンLøvstakken,ダームスゴース山 (Damsgårdsfjellet),リーデルホルン (Lyderhorn)の7つの山に背後を囲まれる。ベルゲンの市章(Bergenを参照)には,この7つの山が市の基礎として描かれている。ベルゲンの古い名前はBjorgvinといい,山間の牧草地を意味する。ベルゲン市内の最高峰は海抜987 mのグル山 (Gullfjellet)で,アルナ地域にある。
wikipedia

posted by 添乗員 at 12:45 | 北欧

フィヨルド観光

フィヨルド
 
リアス式海岸が通常の山地・河谷が沈水して形成されたものであるのに対し、フィヨルドは氷河によって形成されたU字谷が沈水して形成されたものである。そのため、寒帯の地域に多く形成される。また南半球では、南極海流(南極環流、西風海流)より北の陸地で寒い地域が限られるため、北半球に比べフィヨルドの数は少なく、規模も小さい。
氷河とは、数万年もの時間をかけて数千mも降り積もった雪が融けずに固まり、氷へと変化したものである。この氷が自分自身の重みによって、速くても1年間に数百mというスピードで山の斜面を下り、滑りながら底にある地面を深く鋭く削り取り、深い谷を形作ってゆく。フィヨルドは、氷河時代の終わりごろに氷が融けて海面が上がったために、この深い谷の一部が海に沈むことで形成されていったのである。


フィヨルドの特徴
 
ノルウェーのフィヨルド湾の特徴は、U字谷と同様になる。前述のように、湾口から湾奥まで、湾の幅があまり変わらず、非常に細長い形状になる。さらに、海岸線は湾奥を除き、断崖絶壁となり、水深も深い。数値を挙げると、ノルウェーの「ソグネ・フィヨルド」などは、長さが200km、水深・両岸の断崖ともに1,000mを越えるものもある。なお、それであっても湾の幅は数km程度である。

グリーンランド東海岸のフィヨルド地形ヨーロッパ北部のノルウェー・スウェーデンからなるスカンディナビア半島の東部・北部がフィヨルドの名所。特にノルウェーの東部・北部に多く見られ、「トロンヘイム・フィヨルド」などその美しい景観から、観光名所として有名なものもある。ノルウェーのほかには、デンマーク領のグリーンランドなどにもこのフィヨルド地形が多く見られる。また南半球では、ニュージーランドの南島や、チリ・アルゼンチン南部(パタゴニア地方)などにあることが知られている。
世界最大のフィヨルドはグリーンランドのスコルズビ湾、次いでノルウェーのソグネ・フィヨルド」である。wikipedia
 
タグ:フィヨルド
posted by 添乗員 at 12:43 | 北欧

ストックホルム

ストックホルムは
 
13世紀の中葉にスウェーデン東部のメーラレン湖東にある小島スタツホルメン島に砦として築かれたのが最初である。1250年代に即位したされるフォルクンガ朝初代国王ビルイェル・ヤールによる。砦としてだけでなく、都市としての機能も形成されて行く。戦闘に備えて、島を囲むように丸太の柵が巡らされていた為に、「丸太の小島」と呼ばれるようになった。これはスウェーデン語で「ストックホルム」と言う。
都市は次第に拡大し、近郊の小島などに広がって行き、都市の名も「ストックホルム」として落ち着いた。都市の始まりとして築かれたスタツホルメン島は、「ガムラスタン(旧市街)」と呼ばれ、昔ながらの中世の建物が建ち並んでいる。
スウェーデンの都市は、他ヨーロッパの都市と比べると小規模で、ストックホルム以外の都市化は遅々として進んでいなかった。1523年にスウェーデンが独立国となった頃のストックホルムの人口は、8000人程度にしか過ぎなかった。17世紀にはいると首都の人口も増加したが、他国のような人口爆発は、スウェーデンにおいては小規模にしか発生しなかった。17世紀後半のストックホルムの人口は5万人程度であり、スウェーデン全体でも都市と言えるような街は、海港イェーテボリ位いしか無かった。この頃の移民は、商業などを通じて、ドイツ人やオランダ人などが入植し、ストックホルムの都市化を形成していった。wikipedia
18世紀以降、ストックホルムは、直接戦火に巻き込まれなかったため、人口は数十万にも達するようになった。またスウェーデン史では、18世紀全般を通し、文化が高揚した「自由の時代」を象徴する都市にもなった。ストックホルムは、名実ともにスウェーデンの首都たる街へ変貌し、現代においても北欧最大の都市を標榜している。
ストックホルムの人口は、現在も増加し続けているが、それは自然増ではなく、移民によって構築されている。最近になって移民が独自のコミュニティーを形成し、ストックホルム市民との関係悪化などが起こり、スウェーデンでも移民問題は噴出し始めている。wikipedia
 
posted by 添乗員 at 12:42 | 北欧

ドロットニングホルム宮殿

ドロットニングホルム宮殿は
 
ドロットニングホルム宮殿( - きゅうでん、Drottningholms slott)は、スウェーデン・ストックホルム郊外の小島にある離宮である。この宮殿は、1662年に建設が始められ、1686年に完成した。庭園には、バロック様式が使用された。「北欧のヴェルサイユ宮殿」の勇名を馳せる。
この宮殿は、1744年に結婚したホルシュタイン=ゴットルプ家のアドルフ・フレドリクとプロイセン王女ロビーサ・ウルリカに結婚祝いとして、当時のスウェーデン国王フレドリク1世からプレゼントされた。ロビーサ・ウルリカは、啓蒙主義思想を持つ優れた才女であった。彼女の手によって、ドロットニングホルム宮殿はさらなる発展を遂げるのである。この時代にギャラリーや図書館、劇場が増築され、スウェーデンにおける啓蒙時代を作り上げた。
ロビーサ・ウルリカの息子で1771年に国王となったグスタフ3世も、ドロットニングホルム宮殿を愛し、華やかな文化活動が行われた。グスタフ3世は毎年この宮殿で演劇や舞踏会などを催した。この時代のスウェーデンは、「ロココの時代」と呼ばれている。

ドロットニングホルム宮殿は、グスタフ3世の死後、次第に使用される事がなくなった。しかしその為に王領地の自然は保たれた。また王家の夏の離宮として使用されていくこととなった。1991年には、ドロットニングホルム宮殿を含む王領地が、スウェーデンの文化遺産として、世界遺産に登録された。なお、毎年夏には、観光客用に演劇やオペラが上演されるなど、観光地としても有名である。ちなみに最近、ストックホルムでは、環境問題が起こっているらしく、現在の王家であるベルナドッテ家が居城としている。
wikipedia

posted by 添乗員 at 12:41 | 北欧

バルト海クルーズ

バルト海を囲むように、スウェーデン、フィンランド、ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ドイツ、デンマークなどの国々が面しており、航海をようする海上交通網が発達している。
現在、航空網が発達している中においても、費用が安い、サービスがよいなどの理由により、海上交通を利用する人が多い。また、単に交通手段以外に「クルーズ」という面もあり海外の人が利用することも多く、日本の旅行会社などの主催するものやヨーロッパツアー行程に組み込まれることが多く人気が高い。

北欧首都、主要都市を結ぶラインは毎日運行されている。 長期クルーズは、季節により異なる。

シリア・ライン(シンボルマーク:アザラシ)
主な航路はフィンランドの首都ヘルシンキ、旧首都トゥルクからスウェーデンの首都ストックホルム。デンマークの首都コペンハーゲンからストックホルムなど。

中には大西洋への航路を取り北海クルーズやノルウェーの旧首都ベルゲン、フィヨルドクルーズと併せてフィヨルド奥地の避暑地ゲイランゲルまでの航路も多彩である。 wikipedia
posted by 添乗員 at 12:40 | 北欧

ヘルシンキとは

ヘルシンキとは
 
ヘルシンキ(フィンランド語:Helsinki、スウェーデン語:Helsingfors、ロシア語:Хельсинки)は、フィンランド共和国の首都。フィンランドの南部(北緯60度10分、東経24度56分)に位置し、バルト海の最奥、フィンランド湾の北、多島海のヘルシンキ湾に面している。別名「バルト海の乙女」。
ヘルシンキ市の人口は546,000人。ヘルシンキ市にはエスポー、ヴァンター市などの衛星都市がある。ヘルシンキ都市圏の人口は約100万人。フィンランドの公用語がフィンランド語とスウェーデン語の二言語であるため、二言語併用が原則となっているほか、地名(駅名、停留所名なども)はフィンランド語、スウェーデン語で別々に存在する。
市内には様々な教会があり、中には1967年にスオマライネン兄弟によってデザインされ、岩盤をくりぬいて作ったテンペリアウキオ教会などがある。
16世紀にスウェーデン人によって交易の目的のために開拓された港町。1550年からヘルシングフォシュ(峡谷の人々の滝)と呼ばれている。町と言っても当時は寒村に等しかったが、フィンランドの貿易中継の中心地となった。19世紀までに火事、疫病、飢饉など災禍に見舞われ、町の存亡さえ危惧された。しかし1808年の大火災では、町の三分の二が消失したことでそれを契機に乱雑だった町の景観が近代化され、20世紀までにフィンランド一の大都会へと変貌を遂げることとなったのである。
1812年にフィンランド大公国の首都となり、1917年のフィンランド独立により正式に首都となる。ちなみにフィンランド人はヘルシンキと呼んでいるが、スウェーデン語話者は現在でもヘルシングフォーシュ(Helsingfors)という名を用いている。かつてのフィンランドの中心地であったトゥルクに代わり、現代では経済、商業、文化活動の中心地としてフィンランドの最高水準を誇っている。wikipedia
 
タグ:ヘルシンキ
posted by 添乗員 at 12:39 | 北欧

ヘルシンキと言えば、ムーミン

ムーミン(スウェーデン語 Mumin、フィンランド語 Muumi)は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの著作に登場する生き物。ムーミン・シリーズと呼ばれる一連の作品の主人公、あるいは主要な登場人物として登場する。
妖精に似た生き物で、風貌はコビトカバに似ているが、体表面には毛が生えており、直立歩行する。ムーミンは種族名であるが、作中で単に「ムーミン」という場合は主人公の男の子「ムーミン・トロール」のことを指す場合が多い。ムーミン・トロールは、父のムーミンパパや母のムーミンママたちと一緒にムーミン谷に住んでいるとされる。
ヤンソンは画家でもあり、ムーミンの原型となるキャラクターは小説執筆以前にもたびたび描かれていた。小説として初めて登場するのは1945年にスウェーデン語で著された『小さなトロールと大きな洪水』で、その後ムーミン・シリーズとして知られる計9作品に登場するようになる。
子供向けの作品であるが、小説での雰囲気はけして明るくはなく、不条理な内容も頻繁に登場する。登場人物には哲学的・詩的な発言をするものも多く、子供として描かれているムーミン・トロールには理解できないという描写がしばしば見られる。

漫画としては、1953年からトーベ・ヤンソン自身の作画によってロンドンのイブニング・ニュースに連載が開始された。途中からは実弟のラルス・ヤンソンが描くようになり、1975年まで作品が発表された。
wikipedia

posted by 添乗員 at 12:38 | 北欧

スカンディナヴィア

スカンディナヴィアとは
 
スカンディナヴィア(Skandinavia)は、ヨーロッパ北部のスカンディナヴィア半島周辺の地域。スカンディナヴィアの語源は詳らかでは無いが、プリニウスが博物誌にラテン語でスカンディナヴィアという記述したのが文献に見える最古のものとされているが、古ノルド語で「暗い島」とも言われる。暗いはskad, 島はaujo(da:ø, sv:ö, no:øy)。針葉樹林の景色か、日照時間の短さから来ているものと言われている。またゲルマン民族の故地として知られており東ゴート王国の研究家ヨルダネスが「ゴート人は海の向こうのスカンザ(Scandza)から来た」と伝えている。
ここに位置する国々をスカンディナヴィア諸国というが、歴史的な理由により次の三国を指す。

ノルウェー
スウェーデン
デンマーク

長い間、この三国の領域が北欧の領域と同じであったが、ナポレオン戦争によりフィンランドがロシアの植民地になった後、北欧に変わってこの三国を現す新しい呼び名が必要になり、スカンディナヴィアという単語がこの役割を担うこととなった。従ってフィンランドは本来は含まれないのだが、21世紀現在、北欧人の間においても、北欧とスカンディナヴィアを峻別する人は少ないようである。今日、この三国はいずれも立憲君主制国家である。
域外ではしばしばフィンランド、そしてしばしばアイスランドをも含むことがある。ドイツ語圏ではフィンランドを含み、英語圏ではそれに加えてアイスランドを含む。日本では英語圏の影響により、北欧諸国と同一視される。
スカンディナヴィアの気象は東西でまったく異なる。半島を二分するスカンディナヴィア山脈を隔てて西部が温暖な地域である。一方、バルト海に面する東部は、冷涼とした気候である。このため、地政学上でもまったく東西で二分されている。スカンディナヴィア西部、ノルウェーとデンマークは古代より、海洋国家であり、海との繋がりが深い。一方東部のスウェーデンは、陸との繋がりが深く、大陸国家を築いてきた。スウェーデンと繋がりが深いフィンランドでも同様である。地政学では、デンマークを海洋=帝国型、ノルウェーを海洋=属国型、スウェーデンを大陸=帝国型、フィンランドを大陸=属国型と分類する。
19世紀には、北欧諸国を中心に汎スカンディナヴィア主義が高揚し、北欧の一体化を望む運動が、スウェーデンを中心に行われたが、すでに国民国家を築いていた北欧三国は、ドイツの様に統一する事はなく現在に至っている。wikipedia


 

posted by 添乗員 at 12:34 | 北欧

北欧旅行3

ウィーンからコペンハーゲン経由でベルゲンへ

 

ベルゲンは1070年に発見された古い街。

街全体が入り江になっていて

それはそれは素敵な街です。

(出来たらもう一度訪れたい)

旧市街はしゃれた倉庫(木造)作りの建物を

利用したレストランやショップが建ち並んでいた。

 

市内観光へ出かけた。

入り江の全貌が見えるところへ行き、団体写真。

見本を団員に見せ、売り込みのお手伝い。

「大して売れないのになあ」とおもいつつ。

案の定、一枚も売れなかった。見本だけもらった。

 

旧市街の観光へ。

一通りの説明が終わり自由時間。

 

添乗員もゆっくり。とはいかない。

夕食のレストランの確認をしなければ。

幸い、すぐに目的の場所は見つかり

我々の座る場所の確保、メニューの打ち合わせ。

ドリンクの種類や値段などを確認。

 

ふっと時計を見ると、もう集合の時間に。

あわてて集合場所へ戻った。全員帰っていた。

何食わず顔をして人数確認。

「全員そろったので、ホテルへ戻ります。」

(内心、怒られないかドキドキ)

 

ベルゲンはこんなところ

posted by 添乗員 at 10:53 | 北欧

北欧旅行2その前にウィーン

静かな静かなレストランへ着いた。
呼んでもなかなか出てこない。 
もう一度、『ハロー、誰かいませんか』 
やっと出てきてくれた。自己紹介を簡単に済ませ、 
メニューの打ち合わせ(コースを選ぶだけなんですが) 
などなどをこなし、すぐにホテルへとんぼ返り。 
休む暇もなく、明日のスケジュールの確認をした。
全部予定通り。 
瞬く間に集合時間になった。 
ロビーで待ち合わせ、全員集合したところでいざ出発。 
無事レストランに到着。 
全員が座ったところで、
メニューの紹介。ドリンク類の紹介。 
ドリンク類の値段の紹介などなどをして自分も席に着き 
皆さんと一緒にいただいた。 
ビールをごくごくごくっと飲んだ。美味しかった。 
今までで一番おいしかった。(いつも言ってるような?) 
なにもなく一日が過ぎていった。 
お休みなさ〜い。ぐ〜ぐ〜ぐ〜。 
ウィーンの森などを観光して、足早に空路ベルゲンへ。
タグ:北欧旅行
posted by 添乗員 at 18:45 | 北欧

北欧旅行1(その前にウィーン)

北欧へ行く前にウィーンへ立ち寄り。
 
ウィーンのホテルへ着いた。 
ホテル到着時の添乗員の仕事というと、 
スケジュールの確認や通貨の両替。
荷物が無事に届くか確認しなければならない。
それと部屋の不備はないのか。 
などなど。確認する事がたくさんある。 
このツアーは
すべての夕食が行程に付いていない。 
主催者の取引会社が
レストランを予約だけしてくれるのだ。
 
 
レストラン名、住所、そして電話番号を
教えてくれるだけだ。 
チェックインを済ませた。
 
レストランを探さないといけない。
これが一苦労。 
なにせ、今回の行程すべて初めてなのだ。 
やるしかないのだ。 
コンシェルジュやフロントマンに聞いて 
地図を頼りにレストランを探すことから始める。 
とにかく、時間がないのだ。
大勢の人に聞くしかない。 
覚悟を決めてホテルを出た。 
はじめの人に聞いた。 
なかなか英語が通じない。 
何人もの人に声を掛けて
やっとお目当てのレストランへたどり着いた。 
posted by 添乗員 at 19:46 | 北欧